夜風が気持ちよい日が続きます。最近は就寝前の音楽鑑賞が楽しくて仕方がありません。それはスペインのクラシックに出会ってからです。フェデリコ・モンポウとマニュエル・ブランカフォルト。この二人の音楽は私を宇宙の果てまで連れて行ってくれます。
「うつ病」と呼ばれる症状が急増した現代社会。そのうつ病の原因は、脳内で活動するセロトニンの欠乏にあることがわかってきました。そのセロトニンと人間の呼吸というのは深い関わりがある。
呼吸の仕組みは、血液中の二酸化炭素が増えるとセロトニン神経や横隔膜神経が刺激され、息を吸い込んで酸素を取り入れる。
うつ病の人はセロトニンが不足している。ということは、深い呼吸よってセロトニンを取り入れ、そうすることでうつを改善するという論理です。
著者は呼吸法を学ぶにあたり、座禅の経験をかなり積んでおられるようです。そうした経験をもとに、「数息法」、「足心呼吸法」といった呼吸法をわかりやすく丁寧に説明してくれています。
現在うつを治療する薬がたくさん出ているようですが、呼吸法なら自分自身で、しかも無料で治療できる自然な治療法であるといえます。私自身、「うつ病」と診断されたことはないですが、なんせ呼吸が浅いので、この本の内容を実践してみたいと思います。
![]() | ストレスをなくす心呼吸―心は呼吸と姿勢にいかに影響されるか (かに心書) (2006/06) 高田 明和 商品詳細を見る |
「うつ病」と呼ばれる症状が急増した現代社会。そのうつ病の原因は、脳内で活動するセロトニンの欠乏にあることがわかってきました。そのセロトニンと人間の呼吸というのは深い関わりがある。
呼吸の仕組みは、血液中の二酸化炭素が増えるとセロトニン神経や横隔膜神経が刺激され、息を吸い込んで酸素を取り入れる。
うつ病の人はセロトニンが不足している。ということは、深い呼吸よってセロトニンを取り入れ、そうすることでうつを改善するという論理です。
著者は呼吸法を学ぶにあたり、座禅の経験をかなり積んでおられるようです。そうした経験をもとに、「数息法」、「足心呼吸法」といった呼吸法をわかりやすく丁寧に説明してくれています。
現在うつを治療する薬がたくさん出ているようですが、呼吸法なら自分自身で、しかも無料で治療できる自然な治療法であるといえます。私自身、「うつ病」と診断されたことはないですが、なんせ呼吸が浅いので、この本の内容を実践してみたいと思います。
原です。気候も次第に涼しくなり、なんとも心地よい日々が続いています。最近、屋久島に行ってきました。一ヶ月に三十五日雨が降るといわれる屋久島ですが、私が訪れた四日間の半分は晴れてくれました。おかげで縄文杉やもののけ姫の森を観ることができ、満足して京都に戻ってくることができました。
明日から四ヶ月、整体の実習に参加することになりました。実習のメンバーの中ではおそらくダントツの素人だと思うので、気を引き締めて参加したいと思います。ということで、整体に関する本を一冊。
著者が提唱した「操体法」というのは、当時の医学界を震撼させ、NHKにも取り上げられたようです。
その操体法というのは、人間をあくまでも自然の生命体と捉え、自然の法則に随順させる療法です。つまり、自然に反しない限りは病気にならないというのが著者の考え方です。本の題名に「万病を治せる」とあるのはこのような意味です。
このような考え方が最も顕著にあらわれるのが、バランス考え方です。自然から生まれた生命力である人間の身体は、バランスによって統制されている。このバランスが崩れると病気になる。だから、術者は患者に対して、このバランスを自然に戻すこと務めである。
例えば、右肩が下がっているような場合、従来の考えであるならば、右肩が下がっている時点でバランスが崩れているから、逆に左型を下げることによってバランスを保たせる。しかし、著者の考えは、右肩が下がっている時点で、それが一つのバランスを保っている状態、患者にとって心地よい状態であるから、それを痛みを我慢して無理に左肩を下げるのではなく、心地よい方向である右肩をさらに下げてあげることで、本来のバランスを取り戻すという。
なんとも画期的な考え方です。おもしろいのは、無意識の行動はバランス整える役割を果たしていることです。だから、身体の無意識的な動きというものを非常に重視し、それを活用しています。
この本の中で、著者は一医師でありながらも西洋医学の限界を主張し、東洋医学の見直しをはかっています。その動きは現在も進行中といえるでしょう。著者に影響を受ける医師・整体師は非常に多いようです。
明日から四ヶ月、整体の実習に参加することになりました。実習のメンバーの中ではおそらくダントツの素人だと思うので、気を引き締めて参加したいと思います。ということで、整体に関する本を一冊。
![]() | 万病を治せる妙療法・操体法 (健康双書) (1978/06) 橋本 敬三 商品詳細を見る |
著者が提唱した「操体法」というのは、当時の医学界を震撼させ、NHKにも取り上げられたようです。
その操体法というのは、人間をあくまでも自然の生命体と捉え、自然の法則に随順させる療法です。つまり、自然に反しない限りは病気にならないというのが著者の考え方です。本の題名に「万病を治せる」とあるのはこのような意味です。
このような考え方が最も顕著にあらわれるのが、バランス考え方です。自然から生まれた生命力である人間の身体は、バランスによって統制されている。このバランスが崩れると病気になる。だから、術者は患者に対して、このバランスを自然に戻すこと務めである。
例えば、右肩が下がっているような場合、従来の考えであるならば、右肩が下がっている時点でバランスが崩れているから、逆に左型を下げることによってバランスを保たせる。しかし、著者の考えは、右肩が下がっている時点で、それが一つのバランスを保っている状態、患者にとって心地よい状態であるから、それを痛みを我慢して無理に左肩を下げるのではなく、心地よい方向である右肩をさらに下げてあげることで、本来のバランスを取り戻すという。
なんとも画期的な考え方です。おもしろいのは、無意識の行動はバランス整える役割を果たしていることです。だから、身体の無意識的な動きというものを非常に重視し、それを活用しています。
この本の中で、著者は一医師でありながらも西洋医学の限界を主張し、東洋医学の見直しをはかっています。その動きは現在も進行中といえるでしょう。著者に影響を受ける医師・整体師は非常に多いようです。
今年も暑い日が続きますね。今年もクーラーを使わないと意気込んでいたのですが、結局使ってしまいました。
さて、学生最後の夏休みともなりうるこの最近、読書がなかなか進みませんね。修士論文というものがあるからです。修士論文・・・卒業論文という響きよりは大分重みがあるものの、読んでくれる人の数はさほど変わらない。では何のために書くのか。人類の知的共有・進歩のためか。私の場合は、どちらかといえば「心の整理のため」という意識が強いです。というと教授・学友に怒られそうですが。
この本を読むのは三度目です。「新書だからわかりやすい」という考えを一掃してくれる本です。
著者は、整体の祖、野口晴哉の思想を受け継ぐ整体師です。三度目に読んで初めて気づいたのが、著者の全体的なテーマが、いわゆるパニック症(過呼吸症)にあるということです。
私自身も、昨年の五月に発症し、以後、しぶとくまとわりつく厄介なものです。この症状は、病院にいっても原因が解明されない。しかし、整体で解決される例はあるのです。これは興味深い事実であると思いますl。著者はこの症状の原因を、腰椎三番と頸椎五番との緊張に見出しています。
このような具体的な整体の話題のほか、「身体とメディア」といった、身体をメディアそのものと捉え、21世紀を身体の時代と提言するなど、体外的な話題が多く組み込まれています。途中、デカルトやフロイトといった言葉が出てきて頭が混乱するところもありますが、読めば読むほど面白くなってくる本です。おそらく、また読むことになるでしょう。
さて、学生最後の夏休みともなりうるこの最近、読書がなかなか進みませんね。修士論文というものがあるからです。修士論文・・・卒業論文という響きよりは大分重みがあるものの、読んでくれる人の数はさほど変わらない。では何のために書くのか。人類の知的共有・進歩のためか。私の場合は、どちらかといえば「心の整理のため」という意識が強いです。というと教授・学友に怒られそうですが。
![]() | 整体 楽になる技術 (ちくま新書) (2001/11) 片山 洋次郎 商品詳細を見る |
この本を読むのは三度目です。「新書だからわかりやすい」という考えを一掃してくれる本です。
著者は、整体の祖、野口晴哉の思想を受け継ぐ整体師です。三度目に読んで初めて気づいたのが、著者の全体的なテーマが、いわゆるパニック症(過呼吸症)にあるということです。
私自身も、昨年の五月に発症し、以後、しぶとくまとわりつく厄介なものです。この症状は、病院にいっても原因が解明されない。しかし、整体で解決される例はあるのです。これは興味深い事実であると思いますl。著者はこの症状の原因を、腰椎三番と頸椎五番との緊張に見出しています。
このような具体的な整体の話題のほか、「身体とメディア」といった、身体をメディアそのものと捉え、21世紀を身体の時代と提言するなど、体外的な話題が多く組み込まれています。途中、デカルトやフロイトといった言葉が出てきて頭が混乱するところもありますが、読めば読むほど面白くなってくる本です。おそらく、また読むことになるでしょう。
今日は、朝の五時に目が覚めました。朝起きて、簡単な体操をし、窓を開けて外の空気を思い切り吸い込むと、脳が一気に活性化する。そうすると、「読みかけだった本を読もう」と思いつきました。
新田次郎文学賞。中野孝次とその愛犬ハラスとの13年間に渡る思い出を記した書です。著者自身も「犬日記」と称するこの本は、もともと出版する予定のあるものではなく、私的日記として家に収めておくものとして書かれたそうです。そこには、著者にとって見知らぬ一匹の柴犬が、思う以上に感慨深い存在になったという事実が込められている。なぜ、人間は人間以外の生物に特別な感情を抱くのか。著者の冷静で緻密な観察は、非常に興味深く、考えさせられるものがあります。
私も実家で犬を飼っています。もうすでに老いて、年々勢いはなくなりつつあり、あと何年生きられるかわからない。しかし、犬が私にもたらしてくれたものを確認し、正確にその生を見つめ、共に歩んでいきたい。
いやぁ、早朝から涙を流してしまいました。今日は滋賀にて、フェデリコ・フェリーニ監督作品『道』・『魂のジュリエッタ』を鑑賞します。楽しみ。
![]() | ハラスのいた日々 (文春文庫) (1990/04) 中野 孝次 商品詳細を見る |
新田次郎文学賞。中野孝次とその愛犬ハラスとの13年間に渡る思い出を記した書です。著者自身も「犬日記」と称するこの本は、もともと出版する予定のあるものではなく、私的日記として家に収めておくものとして書かれたそうです。そこには、著者にとって見知らぬ一匹の柴犬が、思う以上に感慨深い存在になったという事実が込められている。なぜ、人間は人間以外の生物に特別な感情を抱くのか。著者の冷静で緻密な観察は、非常に興味深く、考えさせられるものがあります。
私も実家で犬を飼っています。もうすでに老いて、年々勢いはなくなりつつあり、あと何年生きられるかわからない。しかし、犬が私にもたらしてくれたものを確認し、正確にその生を見つめ、共に歩んでいきたい。
いやぁ、早朝から涙を流してしまいました。今日は滋賀にて、フェデリコ・フェリーニ監督作品『道』・『魂のジュリエッタ』を鑑賞します。楽しみ。
季節もあたたかくなり、鴨川で太陽の光を浴びる人も増えてきました。本日、私も今年初の日向ぼっこ。鴨川のベンチに寝そべって読書をしました。
それにしても、日本では休日の公園で草の上に寝そべって本を読む人が少ないと思います。オーストラリアのアデレードという都市を訪れた時、公園に行くとたくさんの人が寝そべりながら読書していて、思わずにやけてしまった記憶があります。
今まで読んだ学術文庫の中で、最もおもしろかった。なぜか。親鸞は私の専門だからです。著者は宗教社会学者。浄土真宗の寺院に生まれながらも、親鸞の思想と実際の寺院のあり方に大きな疑問を抱き、宗派にとらわれない一宗教者として歩む決心をする。大学卒業後はNHKに20年間勤める。そして、その後は明治学院大学名誉教授。20年間勤めていたにもかかわらず、このような形でいくつもの本を出版している。このことは、信じられない程の勉強量がなければ達成しえないことであると思います。
著者の親鸞を見つめる視点は、社会史的なアプローチです。親鸞が生きていたころの民衆文化に着目し、親鸞の思想形成にどのような影響を与えたか。特に、当時の祖先崇拝・穢れの忌み・占い等を中心に考察しています。おもしろいのは、民俗学の祖、柳田国男の真宗理解を交えながら論を進めている点です。あれほど仏教を嫌った柳田国男をあえて持ち込む所が画期的であるといえるでしょう。
著者の「往生」理解には賛成しかねる部分がありますが、その他は言うことなし。大学時代に中世における「穢れ」・大学院で「親鸞」を研究している私にとって、しばらく手から放せない一冊になりそうです。
それにしても、日本では休日の公園で草の上に寝そべって本を読む人が少ないと思います。オーストラリアのアデレードという都市を訪れた時、公園に行くとたくさんの人が寝そべりながら読書していて、思わずにやけてしまった記憶があります。
![]() | 親鸞・普遍への道―中世の真実 (ちくま学芸文庫 ア 9-4) (2007/04) 阿満 利麿 商品詳細を見る |
今まで読んだ学術文庫の中で、最もおもしろかった。なぜか。親鸞は私の専門だからです。著者は宗教社会学者。浄土真宗の寺院に生まれながらも、親鸞の思想と実際の寺院のあり方に大きな疑問を抱き、宗派にとらわれない一宗教者として歩む決心をする。大学卒業後はNHKに20年間勤める。そして、その後は明治学院大学名誉教授。20年間勤めていたにもかかわらず、このような形でいくつもの本を出版している。このことは、信じられない程の勉強量がなければ達成しえないことであると思います。
著者の親鸞を見つめる視点は、社会史的なアプローチです。親鸞が生きていたころの民衆文化に着目し、親鸞の思想形成にどのような影響を与えたか。特に、当時の祖先崇拝・穢れの忌み・占い等を中心に考察しています。おもしろいのは、民俗学の祖、柳田国男の真宗理解を交えながら論を進めている点です。あれほど仏教を嫌った柳田国男をあえて持ち込む所が画期的であるといえるでしょう。
著者の「往生」理解には賛成しかねる部分がありますが、その他は言うことなし。大学時代に中世における「穢れ」・大学院で「親鸞」を研究している私にとって、しばらく手から放せない一冊になりそうです。








































































